自分の重篤な症状に気付くキッカケとなった1つの動画がこちら。
【音楽談話71】間違った教育とその結果!音楽が自由に聴けなくなってしまった・・?その原因とは?有名人のコンサートが人気なのはどうして?他「やばい……この動画、完全にオレのこと言ってる…」
小中学校での音楽の授業で教えられる内容と自分の感性がマッチせず、クラシック音楽にかなりの偏見を持ちました。高校時代にロックに目覚め、ギターを手にして夢中になって弾いたものの、今思えば音楽を自由に聴いてその好きな音楽から何かを感じるなんてことは微塵もできず、その末路は上の動画のとおりです。
ギターにハマるキッカケとなった邦楽のロックバンドのコピーに夢中になっている自分がダサいと思い始める。欧米至上主義から来る日本人特有の欧米コンプレックスもあった。同じギターを弾くのでも「洋楽の名曲を知らない・弾けないなんてカッコ悪い」などと思うようになる。
海外の有名ロックギタリスト同士や、国内と海外のギタリストを比べて、違いをエラそうに語るくせに、実は海外のギタリストの奏でる音楽、音なんてこれっぽっちも良さがわからず、有名な人の有名な曲というだけで、それがコピーできたことで悦に入っていた(今思えば、表面的にフレーズの指使いをなぞって弾けた気になっていただけ)。
洋楽を知るにつけ、邦楽や日本人のミュージシャンを馬鹿にする傾向が加速し、さらにそこに「パワーコードなんかよりジャズのテンションコードがカッコいい」「プレイヤーの真の力量は即興演奏に表れる」といった愚かしい価値観に染まり、邦楽どころか国内外のロックすべてを馬鹿にしだす有り様。
そこからは「過度な聴き比べ」と「過度な一流志向」の往復で、ギタリストだけでなくピアニストやベーシスト、ドラマーなど、あらゆるパートで聴き比べが始まり、東京・青山のブルーノート東京で海外の一流ミュージシャンの演奏を聴いて「これこそが音楽だ!」と音楽を聴いたつもり、感じたつもりのオンパレード。その後、過度な一流志向がピークに達し、自分のプレイがお粗末に感じてギターを弾くことも楽しくなくなり、日本の音楽やテレビの音楽番組はおろか、仲の良い友達のライブさえ観てられない・聴いてられないなどと言い出す始末。
このころになると、自分がもはや好きという理由で音楽を聴いてないことに自分自身でも薄々気づいていたが、それでも音楽の理解を深めるべく、色々な情報を集めてどんどん頭でっかちに。ミュージシャンの経歴やインタビューでの様々なエピソード、さらにはレコーディング時の裏話やエンジニアのサウンドメイクといった演奏以外の情報にも着目し、「単に演奏を聴くだけでなく、視野を広げて色々なことを知ることこそが音楽がわかる唯一の道だ」と息巻く。
このころから「音楽=勉強、勉強=苦、ゆえに音楽=苦」といった三段論法が脳内を支配するようになり、楽器を弾くのも音楽を聴くのも嫌になり、およそ20年近く、日常生活で全く音楽を聴かなくなる。「音楽で身を立てるのは自分には所詮ムリ」「飽きっぽくて楽器の練習も継続できないダメな奴」そんなレッテルを自分に貼り、音楽と完全に距離をおいて、劣等感と共に様々な仕事を転々とする日々。
2020年に新型コロナが猛威をふるい、自粛ムードの世の中で国内外のミュージシャンたちの様々な働きかけを目にする。市販の音源やライブ映像が期間限定で無料公開されたり、離れた場所にいるミュージシャン同士がリモートでつながって有名な曲をセッションする様子が分割画面で鑑賞できるなど、自宅にいながら贅沢なモノがたくさん観られたことをキッカケに少し音楽熱が高まる。
そうして、ひょんなことから冒頭の動画に出会うわけです。動画の主はドイツ在住のオペラ歌手・車田和寿さん。音大を卒業後、高校で音楽の先生をされた後、渡独してオペラ歌手になったそうで「こういう人が自分の学校の音楽の先生だったらなあ」と感じさせてくれます。冒頭の動画は、事の本質と核心に迫りすぎて、心の傷に塩とワサビと唐辛子を同時に塗り込められて心が覚醒した素晴らしい1本です。
これから音楽について色々なことを思うに至る経緯などを伝えながら、いたって大真面目に音楽家を目指す様子をシェアしていこうと思うので、中二病をこじらせたおじさんがジタバタする様子を面白がってもらえたら幸いです。